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<title>Sure!</title>
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<description>Sure! eastwestさんのブログ</description> 
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<dc:rights>Copyright(c) 2012, Sure!</dc:rights> 
<dc:date>2012-02-09T23:29:04+09:00</dc:date> 
<dc:publisher>eastwest</dc:publisher> 
<dc:subject>Sure!</dc:subject> 
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  <title>違うんじゃないかなあ </title>
  <description>
世界中でシリアの民衆弾圧に対しての国連非難決議案に拒否権を行使したロシア、中国について、
 
各国は非難や遺憾の意を表明、アメリカなどは名指しで「信じられない」と言う表現を用い、
 
常に弱腰の日本政府ですら遺憾の意を発表しました。
 
そんな中、フランスのサルコジ仏大統領は声明で、名指しをさけながら
 
「残忍な政策を後押しした」と批判した事が報道記事に載っていました。
 
このフランスの表明に関して、私はちょっと複雑な思いです。
 
この記事を見て疑問に思う人は少なさそうですが、過去、とは言ってもそう遠くない過去。
 
ルワンダ紛争にてフランス政府は、虐殺側を引き起こすフツ族の援助を組織的に行い
 
フランス軍の展開、武器援助等まで行っていたのです西欧諸国の思惑が、事態を悪化させるのは
 
アフリカ諸国の紛争ではよくある光景で、今回の拒否権発動も中華が参加しているものの同じ類のものです。
 
フランスは紛争後カガメ大統領を戦争犯罪者として告発、飽くまで対決姿勢でした。
 
2010年になってニコラ・サルコジ大統領がルワンダを訪問、虐殺側の政権に対し、
 
外交的・軍事的な後押しをしたことにつき、「大きな判断の誤りがあった」と、
 
虐殺に関する責任の一端があることを認めているものの、謝罪の言葉は全く無かったのです。
 
「ホテル・ルワンダ」と言う映画の中でも、フランス軍は外国人だけを助けて移送します。
 
フランスとルワンダの間にはまだまだしこりが残っていて、関係が正常化しているようには見えません。
 
今回のシリアもアラブイスラム圏ではあるもののルワンダからそう遠くありませんし、
 
そのイメージを周辺諸国も持っています。
 
まずフランスは謝罪等で関係を修復してからじゃないかなあ、
 
今回の声明はなんだか大陸中華や白露に突っ込みどころを与える様な気がしてなりません。
 
なんだか手順が違うんじゃないかなあ。
 


</description>
  <content:encoded>
  <![CDATA[
  <br />
世界中でシリアの民衆弾圧に対しての国連非難決議案に拒否権を行使したロシア、中国について、<br />
 <br />
各国は非難や遺憾の意を表明、アメリカなどは名指しで「信じられない」と言う表現を用い、<br />
 <br />
常に弱腰の日本政府ですら遺憾の意を発表しました。<br />
 <br />
そんな中、フランスのサルコジ仏大統領は声明で、名指しをさけながら<br />
 <br />
「残忍な政策を後押しした」と批判した事が報道記事に載っていました。<br />
 <br />
このフランスの表明に関して、私はちょっと複雑な思いです。<br />
 <br />
この記事を見て疑問に思う人は少なさそうですが、過去、とは言ってもそう遠くない過去。<br />
 <br />
ルワンダ紛争にてフランス政府は、虐殺側を引き起こすフツ族の援助を組織的に行い<br />
 <br />
フランス軍の展開、武器援助等まで行っていたのです西欧諸国の思惑が、事態を悪化させるのは<br />
 <br />
アフリカ諸国の紛争ではよくある光景で、今回の拒否権発動も中華が参加しているものの同じ類のものです。<br />
 <br />
フランスは紛争後カガメ大統領を戦争犯罪者として告発、飽くまで対決姿勢でした。<br />
 <br />
2010年になってニコラ・サルコジ大統領がルワンダを訪問、虐殺側の政権に対し、<br />
 <br />
外交的・軍事的な後押しをしたことにつき、「大きな判断の誤りがあった」と、<br />
 <br />
虐殺に関する責任の一端があることを認めているものの、謝罪の言葉は全く無かったのです。<br />
 <br />
「ホテル・ルワンダ」と言う映画の中でも、フランス軍は外国人だけを助けて移送します。<br />
 <br />
フランスとルワンダの間にはまだまだしこりが残っていて、関係が正常化しているようには見えません。<br />
 <br />
今回のシリアもアラブイスラム圏ではあるもののルワンダからそう遠くありませんし、<br />
 <br />
そのイメージを周辺諸国も持っています。<br />
 <br />
まずフランスは謝罪等で関係を修復してからじゃないかなあ、<br />
 <br />
今回の声明はなんだか大陸中華や白露に突っ込みどころを与える様な気がしてなりません。<br />
 <br />
なんだか手順が違うんじゃないかなあ。<br />
 <br />
<br />
<br />

  ]]>
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  <dc:date>2012-02-07T23:20:54+09:00</dc:date>
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  <title>違うんじゃないかな？ </title>
  <description>
エジプト、首都カイロなどでデモ隊と警官隊が衝突し7人が死亡。
 
エジプト北東部ポートサイドのサッカー場で1日、サポーター同士の暴動が起き79人が死亡。
 
その際、サッカー場の警備態勢が不十分だったと報じられたことから、
 
各地でサポーターらの抗議行動が続いている様です。
 
エジプト保健省によると、死亡7人、負傷者は2000人以上で、
 
今後さらに増加する見込みだそうで、
 
カイロでは数千人のデモ隊が内務省の周囲に集まり、
 
一部のデモ隊が内務省の建物内に突入する恐れから、
 
治安部隊が催涙弾を発射。内務省によると、
 
税務署の建物を占拠したデモ隊が屋上から火炎瓶を投げ、
 
約200人の警官が負傷。
 
保健省は、この衝突で1400人以上が負傷、2人が死亡したとしています。
 
東部スエズでも同様の衝突が発生、負傷者が発生しているそうです。
 
このニュース、CNNとかでもやってました。
 
市民はこぞって乱闘が止められなかった事で政府を非難していますが、
 
大元はサッカー観戦のマナーの悪さから来ていて、
 
完全に非は乱闘を起こし、参加した人々にある訳で、
 
本来サッカー場、いやスポーツ競技の場に警備など
 
必要があってはいけない事だと思います。
 
何のためのルールか、何のために同じ枠内で戦っているのかを
 
認識できる人だけが観戦すべきものだと思います。
 
何でも政府のせいにするのではなく、
 
その乱闘に参加した人にも目を向けるべきだと思います。
 
警備を増やしてその場を押さえたとしても、
 
そういった人々は遺恨を場外に求めることが多いので
 
根本的解決になるとは思いません、
 
ファンとしての資格・自覚を持った人間のみが観戦すべきで、
 
今回の暴動・デモのスローガンは
 
ちょっと違うんじゃないかなと！
 

</description>
  <content:encoded>
  <![CDATA[
  <br />
エジプト、首都カイロなどでデモ隊と警官隊が衝突し7人が死亡。<br />
 <br />
エジプト北東部ポートサイドのサッカー場で1日、サポーター同士の暴動が起き79人が死亡。<br />
 <br />
その際、サッカー場の警備態勢が不十分だったと報じられたことから、<br />
 <br />
各地でサポーターらの抗議行動が続いている様です。<br />
 <br />
エジプト保健省によると、死亡7人、負傷者は2000人以上で、<br />
 <br />
今後さらに増加する見込みだそうで、<br />
 <br />
カイロでは数千人のデモ隊が内務省の周囲に集まり、<br />
 <br />
一部のデモ隊が内務省の建物内に突入する恐れから、<br />
 <br />
治安部隊が催涙弾を発射。内務省によると、<br />
 <br />
税務署の建物を占拠したデモ隊が屋上から火炎瓶を投げ、<br />
 <br />
約200人の警官が負傷。<br />
 <br />
保健省は、この衝突で1400人以上が負傷、2人が死亡したとしています。<br />
 <br />
東部スエズでも同様の衝突が発生、負傷者が発生しているそうです。<br />
 <br />
このニュース、CNNとかでもやってました。<br />
 <br />
市民はこぞって乱闘が止められなかった事で政府を非難していますが、<br />
 <br />
大元はサッカー観戦のマナーの悪さから来ていて、<br />
 <br />
完全に非は乱闘を起こし、参加した人々にある訳で、<br />
 <br />
本来サッカー場、いやスポーツ競技の場に警備など<br />
 <br />
必要があってはいけない事だと思います。<br />
 <br />
何のためのルールか、何のために同じ枠内で戦っているのかを<br />
 <br />
認識できる人だけが観戦すべきものだと思います。<br />
 <br />
何でも政府のせいにするのではなく、<br />
 <br />
その乱闘に参加した人にも目を向けるべきだと思います。<br />
 <br />
警備を増やしてその場を押さえたとしても、<br />
 <br />
そういった人々は遺恨を場外に求めることが多いので<br />
 <br />
根本的解決になるとは思いません、<br />
 <br />
ファンとしての資格・自覚を持った人間のみが観戦すべきで、<br />
 <br />
今回の暴動・デモのスローガンは<br />
 <br />
ちょっと違うんじゃないかなと！<br />
 <br />
<br />

  ]]>
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  <dc:date>2012-02-05T15:00:19+09:00</dc:date>
  </item>
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  <title>ビスマルクの歌声</title>
  <description>19世紀にドイツを統一した鉄血宰相ビスマルク（1815～98年）は
 
日本で言うところの､徳川家康みたいなもので、 鉄血宰相と言うあだ名は、
 
「ドイツがプロイセンに注目しているのは、
 
その自由主義ではなく、力なのであります。
 
今やドイツ統一は演説や多数決ではなく
 
鉄（武器）と血（兵士）に よってのみ解決されるでありましょう。」
 
と言う演説から来ています。
 
そのビスマルク氏の声を収録した蓄音機のろう管が
 
ニュージャー ジー州の発明王エジソン氏の研究所跡で発見されたそうです。
 
現存する唯一のビスマルク氏の肉声で、歴史的資料と話題になっている様です。
 
エジソン氏は開発した新型蓄音機の売り込みで、助手を欧州に派遣、
 
助手は1889年10月7日にドイツ北部ハンブルク近郊のビスマルク宅を訪れ、
 
声を録音するよう勧めたそうです。
 
ビ スマルク氏はドイツ語と英語で歌い、ラテン語で詩を朗読。
 
普仏戦争（1870～71年）で破ったフランスの国歌を口ずさんだとあります。
 
私のイメージとしては、鋼鉄の意志を持ち、
 
軍政にしか興味を示さない、といった感じなのですが、
 
録音の内容からすると蓄音機と言う新しい時代の発明の前には
 
無邪気にならざるを得なかったのでしょうね。
 
こう言った資料が登場する度、その人間像が少しずつ変化して行きますね。
 
歴史がただの記録ではなく､人間が呼吸している面が見えて来る気がします。
 
それに、エジソン氏がビスマルク氏にまで製品を売り込む、
 
稀代の実業家であった側面も見え、そういった面からも貴重な資料です。
 
蓄音機やレコードの時代はほぼ終焉を迎えましたが、
 
未発掘の資料が発見される度、貴重な財産だと思います。
 
記録から物語へ、記録のありようが進化すれば素敵ですね。
 


</description>
  <content:encoded>
  <![CDATA[
  19世紀にドイツを統一した鉄血宰相ビスマルク（1815～98年）は<br />
 <br />
日本で言うところの､徳川家康みたいなもので、 鉄血宰相と言うあだ名は、<br />
 <br />
「ドイツがプロイセンに注目しているのは、<br />
 <br />
その自由主義ではなく、力なのであります。<br />
 <br />
今やドイツ統一は演説や多数決ではなく<br />
 <br />
鉄（武器）と血（兵士）に よってのみ解決されるでありましょう。」<br />
 <br />
と言う演説から来ています。<br />
 <br />
そのビスマルク氏の声を収録した蓄音機のろう管が<br />
 <br />
ニュージャー ジー州の発明王エジソン氏の研究所跡で発見されたそうです。<br />
 <br />
現存する唯一のビスマルク氏の肉声で、歴史的資料と話題になっている様です。<br />
 <br />
エジソン氏は開発した新型蓄音機の売り込みで、助手を欧州に派遣、<br />
 <br />
助手は1889年10月7日にドイツ北部ハンブルク近郊のビスマルク宅を訪れ、<br />
 <br />
声を録音するよう勧めたそうです。<br />
 <br />
ビ スマルク氏はドイツ語と英語で歌い、ラテン語で詩を朗読。<br />
 <br />
普仏戦争（1870～71年）で破ったフランスの国歌を口ずさんだとあります。<br />
 <br />
私のイメージとしては、鋼鉄の意志を持ち、<br />
 <br />
軍政にしか興味を示さない、といった感じなのですが、<br />
 <br />
録音の内容からすると蓄音機と言う新しい時代の発明の前には<br />
 <br />
無邪気にならざるを得なかったのでしょうね。<br />
 <br />
こう言った資料が登場する度、その人間像が少しずつ変化して行きますね。<br />
 <br />
歴史がただの記録ではなく､人間が呼吸している面が見えて来る気がします。<br />
 <br />
それに、エジソン氏がビスマルク氏にまで製品を売り込む、<br />
 <br />
稀代の実業家であった側面も見え、そういった面からも貴重な資料です。<br />
 <br />
蓄音機やレコードの時代はほぼ終焉を迎えましたが、<br />
 <br />
未発掘の資料が発見される度、貴重な財産だと思います。<br />
 <br />
記録から物語へ、記録のありようが進化すれば素敵ですね。<br />
 <br />
<br />
<br />

  ]]>
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  </item>
    <item rdf:about="http://www.sure.ne.jp/member/eastwest/diary/diary___25f7593367a792a9b1eca3545b887a49.html">
  <title>ビスコ </title>
  <description>「ビスコ」売り上げが過去最高だそうで。
 
江崎グリコはクリームサンドビスケット「ビスコ」の２０１１年度の売り上げが、
 
前年度より約４割多い４５億円になりそうだと発表。０８年度の３８億円を上回り、
 
１９３３年の発売以来、過去約８０年間で最高となるそうです。
 
東日本大震災で工場などが被災し、生産を絞り込んで定番商品販売への注力や、
 
防災意識の高まりで２００７年に備蓄用として発売された「保存缶」が人気のためだそうで、
 
保存缶は、５年間保存でき、例年は防災の日（９月１日）前後に需要が集中していましたが、
 
１１年度は震災の発生以降、企業の備蓄用としての注文が殺到。
 
生産が追いつかない状態が続き、出荷額は前年度の７倍に達したとの事です。
 
ビスコは発売翌年の３４年９月、室戸台風が関西を直撃した際、
 
被災地で格安販売され、のちのヒットにつながったという経緯もあるようです。
 
ビスコ、備蓄用は５年も持つのですね、
 
備蓄用でもない３年半過ぎたビニールパックの乾パンを食べた事がありますが、
 
全然平気で、噛み砕くのに苦労するくらいにカチカチで、
 
しばらく、口の中でモグモグしていれば、湿気て食べやすい固さになりました。
 
この手の食べ物は湿気さえ注意すれば結構大丈夫なのだと感心した記憶が蘇ります。
 
同じ緊急品でも、登山などでは定番のチョコレートなどは、
 
油分が分離して、見るからにダメでしたから、乾パンやビスコはたいしたものです。
 
でも、ビスコは乾パンより美味しいので良いですよね。
 
緊急事態に最低限の食料は大切ですが、少しでも美味しいと心に余裕ができそうです。
</description>
  <content:encoded>
  <![CDATA[
  「ビスコ」売り上げが過去最高だそうで。<br />
 <br />
江崎グリコはクリームサンドビスケット「ビスコ」の２０１１年度の売り上げが、<br />
 <br />
前年度より約４割多い４５億円になりそうだと発表。０８年度の３８億円を上回り、<br />
 <br />
１９３３年の発売以来、過去約８０年間で最高となるそうです。<br />
 <br />
東日本大震災で工場などが被災し、生産を絞り込んで定番商品販売への注力や、<br />
 <br />
防災意識の高まりで２００７年に備蓄用として発売された「保存缶」が人気のためだそうで、<br />
 <br />
保存缶は、５年間保存でき、例年は防災の日（９月１日）前後に需要が集中していましたが、<br />
 <br />
１１年度は震災の発生以降、企業の備蓄用としての注文が殺到。<br />
 <br />
生産が追いつかない状態が続き、出荷額は前年度の７倍に達したとの事です。<br />
 <br />
ビスコは発売翌年の３４年９月、室戸台風が関西を直撃した際、<br />
 <br />
被災地で格安販売され、のちのヒットにつながったという経緯もあるようです。<br />
 <br />
ビスコ、備蓄用は５年も持つのですね、<br />
 <br />
備蓄用でもない３年半過ぎたビニールパックの乾パンを食べた事がありますが、<br />
 <br />
全然平気で、噛み砕くのに苦労するくらいにカチカチで、<br />
 <br />
しばらく、口の中でモグモグしていれば、湿気て食べやすい固さになりました。<br />
 <br />
この手の食べ物は湿気さえ注意すれば結構大丈夫なのだと感心した記憶が蘇ります。<br />
 <br />
同じ緊急品でも、登山などでは定番のチョコレートなどは、<br />
 <br />
油分が分離して、見るからにダメでしたから、乾パンやビスコはたいしたものです。<br />
 <br />
でも、ビスコは乾パンより美味しいので良いですよね。<br />
 <br />
緊急事態に最低限の食料は大切ですが、少しでも美味しいと心に余裕ができそうです。<br />

  ]]>
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  <link>http://www.sure.ne.jp/member/eastwest/diary/diary___25f7593367a792a9b1eca3545b887a49.html</link> 
  <dc:date>2012-02-03T00:41:45+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="http://www.sure.ne.jp/member/eastwest/diary/diary___a98d202c1982a83fb087469b48b28271.html">
  <title>走る時  </title>
  <description>
「物事を行う場合、英国人は走りながら考え、フランス人は走って壁にぶつかってから考える。
 
それに対してドイツ人は走り出す前に考える。」と言う記事が産経新聞に載っていました。
 
欧州３大国の国民性をドイツに住む男性なりの経験から導きだし、言い表したものだそうですが、
 
なんだか少し昔に聞いた事がある気がします。
 
記事は続いて、その男性のドイツ人評に記者が納得した理由が述べられています。
 
例えば、電話開通の手続きで、必要な品や書類が郵便で届く前に、
 
まず発送したことを通知する手紙が届くそうです。それも発送する物毎に。
 
確実に届けるための配慮ではあるものの、
 
肝心の物が届かないがゆえ、苛立ちを覚えるそうです。
 
「守れない約束はしてはならない」。
 
欧州債務危機で一層の貢献を求められながら、
 
ためらうメルケル首相の姿にそのそんなドイツ人気質を見、
 
「不確実性の排除」は重要だが欧州の債務危機が世界経済に影響を及ぼす中、
 
そんなドイツを世界はやはりじれったく思っていると、記事は結びます。
 

　この記事の内容は現代ドイツを言い表しているのかもしれませんが、
 
歴史上、忘れてはならない第一次、第二次大戦の様相では
 
ドイツの取った行動は随分違った気がします。
 
第一次大戦では非常に行き当たりばったりの作戦で、
 
戦争の開始も兵士の動員も偶発的要素が絡み合ったものでした。
 
第二次大戦は準備不足でも機を見てチャンスをものにする冒険的外交を何度か成功させた後、
 
博打運が尽きた時勝ち目の無い戦争に入ります。
 
この時のドイツは世界にじれったさどころか、焦りと脅威を与えていたのです。
 
同時にイギリスは頑固なまでの確実性を求め、
 
フランスは準備周到ではあったものの欠陥をはらんでいました。
 
日本も無定見な戦争に突入する訳ですが、
 
こちらの事情は参戦したいアメリカのとばっちり、と言う側面も持ち合わせています。
 
これから考えると第二次大戦の敗戦と言う奴は国民性をも変えてしまったのかもしれませんね。
 
現代日本人は走る前にどうするかって?
 
勿論「マニュアルを読む」ですよ！
 


</description>
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  <![CDATA[
  <br />
「物事を行う場合、英国人は走りながら考え、フランス人は走って壁にぶつかってから考える。<br />
 <br />
それに対してドイツ人は走り出す前に考える。」と言う記事が産経新聞に載っていました。<br />
 <br />
欧州３大国の国民性をドイツに住む男性なりの経験から導きだし、言い表したものだそうですが、<br />
 <br />
なんだか少し昔に聞いた事がある気がします。<br />
 <br />
記事は続いて、その男性のドイツ人評に記者が納得した理由が述べられています。<br />
 <br />
例えば、電話開通の手続きで、必要な品や書類が郵便で届く前に、<br />
 <br />
まず発送したことを通知する手紙が届くそうです。それも発送する物毎に。<br />
 <br />
確実に届けるための配慮ではあるものの、<br />
 <br />
肝心の物が届かないがゆえ、苛立ちを覚えるそうです。<br />
 <br />
「守れない約束はしてはならない」。<br />
 <br />
欧州債務危機で一層の貢献を求められながら、<br />
 <br />
ためらうメルケル首相の姿にそのそんなドイツ人気質を見、<br />
 <br />
「不確実性の排除」は重要だが欧州の債務危機が世界経済に影響を及ぼす中、<br />
 <br />
そんなドイツを世界はやはりじれったく思っていると、記事は結びます。<br />
 <br />
<br />
　この記事の内容は現代ドイツを言い表しているのかもしれませんが、<br />
 <br />
歴史上、忘れてはならない第一次、第二次大戦の様相では<br />
 <br />
ドイツの取った行動は随分違った気がします。<br />
 <br />
第一次大戦では非常に行き当たりばったりの作戦で、<br />
 <br />
戦争の開始も兵士の動員も偶発的要素が絡み合ったものでした。<br />
 <br />
第二次大戦は準備不足でも機を見てチャンスをものにする冒険的外交を何度か成功させた後、<br />
 <br />
博打運が尽きた時勝ち目の無い戦争に入ります。<br />
 <br />
この時のドイツは世界にじれったさどころか、焦りと脅威を与えていたのです。<br />
 <br />
同時にイギリスは頑固なまでの確実性を求め、<br />
 <br />
フランスは準備周到ではあったものの欠陥をはらんでいました。<br />
 <br />
日本も無定見な戦争に突入する訳ですが、<br />
 <br />
こちらの事情は参戦したいアメリカのとばっちり、と言う側面も持ち合わせています。<br />
 <br />
これから考えると第二次大戦の敗戦と言う奴は国民性をも変えてしまったのかもしれませんね。<br />
 <br />
現代日本人は走る前にどうするかって?<br />
 <br />
勿論「マニュアルを読む」ですよ！<br />
 <br />
<br />
<br />

  ]]>
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  <dc:date>2012-02-02T00:39:21+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www.sure.ne.jp/member/eastwest/diary/diary___f72fe9318c7084031627c4e0bcef0991.html">
  <title>夜だった</title>
  <description>
近頃、古典的と言うか、戦後間もない時代の映画、
 
特に敗戦を経験した国制作の映画のDVDなどが幾つか手に入り、
 
家で仕事をしながら、流したりしているのですが、これがまた暗いのです。
 
ドイツの「戦場の08/15」シリーズに「橋」や、ハンガリーやユーゴスラビアの短編。
 
その中でも特に厳しいのが「ローマで夜だった」です。
 
見だして、昔、祇園会館と言うマイナー映画館で激しく落ち込んだ映画と気づいても後の祭。
 
映像とストーリーはロベルト・ロッセリーニ監督だけに素晴らしいので止まりません。
 

第二次大戦下の一九四三年、イタリアが勝手にドイツとの同盟を解消して、
 
ドイツに対して敵対行為を行ったため、ドイツ軍はイタリアを制圧、
 
ローマも統治下になった前後の話。
 
修道尼に変装して闇商売をやっているローマ娘が脱走中の連合国の三人の捕虜を匿い、
 
レジスタンスに接触、ドイツ警察の取締りの大混乱の中、密告者により危機に陥りましたが、
 
何とか脱出、密告者に報復をした刹那。連合車がローマに入城。
 
関わった全ての人々がいなくなりローマ娘は一人残されます。
 
永久に明ける事の無い夜の中に。
 

第二次大戦中、元々枢軸国のイタリアは、ドイツの目覚しい進撃を見て自身にも栄光をと
 
アフリカに戦端を開くわけですが、元々時代遅れの装備と訓練不足と経験不足の
 
士気の低い軍隊を持つのみで単独での勝利なく、アフリカでの主役の座も
 
有名なロンメル将軍のドイツ・アフリカ軍団になってしまいます。
 
望まずして戦場を拡大する羽目になったドイツがアフリカを放棄した直後、
 
連合軍はイタリアに上陸する訳です。
 
それに驚き、イタリア国民は熱烈に支持してきたムッソリーニを幽閉、
 
バドリオ政権を樹立。そしてドイツに対し宣戦を布告すると言う複雑な情勢下でした。
 
映画の中で政治的主導権がコロコロ入れ替わる状況が登場人物の運命を翻弄し、
 
最後に連合軍が来たにも拘らず、自分自身以外の全てが消え去ってしまうと言う、
 
寂しい物語です。物事を達成した後の寂しさに似た感覚だと思います。
 

ロベルト・ロッセリーニ監督はイタリアのこの時の情勢を皮肉っています。
 
独裁者を放り出して連合国に寝返ろうと言うご都合主義やドイツによる
 
実際は何も知らないイタリア一般民に対する強圧的姿勢、勝手に無条件降伏を発表し、
 
イタリアをドイツに宣戦布告せざるを得ない立場に立たせた連合国は
 
戦後、イタリアを敗戦国として裁くと言う仕打ち。
 
この状況はイタリアを破壊から守る事も無く、戦後処理ではただの敗戦国扱いで、
 
同盟国からの裏切り者扱いは元より、連合国からの信用も失い、
 
戦後一般のイタリア人の評価を「いい加減」と言う方向へ導いた出来事でした。
 

　故、イタリア客船の船長の話を聞いてもそれほど驚かない事態になる訳です。
 
ロッセリーニ監督はこう言った状況をしっかり把握してこの映画を作ったのだと思います。
 
イタリアが夜に取り残される事の無いように祈りをこめて。
 


</description>
  <content:encoded>
  <![CDATA[
  <br />
近頃、古典的と言うか、戦後間もない時代の映画、<br />
 <br />
特に敗戦を経験した国制作の映画のDVDなどが幾つか手に入り、<br />
 <br />
家で仕事をしながら、流したりしているのですが、これがまた暗いのです。<br />
 <br />
ドイツの「戦場の08/15」シリーズに「橋」や、ハンガリーやユーゴスラビアの短編。<br />
 <br />
その中でも特に厳しいのが「ローマで夜だった」です。<br />
 <br />
見だして、昔、祇園会館と言うマイナー映画館で激しく落ち込んだ映画と気づいても後の祭。<br />
 <br />
映像とストーリーはロベルト・ロッセリーニ監督だけに素晴らしいので止まりません。<br />
 <br />
<br />
第二次大戦下の一九四三年、イタリアが勝手にドイツとの同盟を解消して、<br />
 <br />
ドイツに対して敵対行為を行ったため、ドイツ軍はイタリアを制圧、<br />
 <br />
ローマも統治下になった前後の話。<br />
 <br />
修道尼に変装して闇商売をやっているローマ娘が脱走中の連合国の三人の捕虜を匿い、<br />
 <br />
レジスタンスに接触、ドイツ警察の取締りの大混乱の中、密告者により危機に陥りましたが、<br />
 <br />
何とか脱出、密告者に報復をした刹那。連合車がローマに入城。<br />
 <br />
関わった全ての人々がいなくなりローマ娘は一人残されます。<br />
 <br />
永久に明ける事の無い夜の中に。<br />
 <br />
<br />
第二次大戦中、元々枢軸国のイタリアは、ドイツの目覚しい進撃を見て自身にも栄光をと<br />
 <br />
アフリカに戦端を開くわけですが、元々時代遅れの装備と訓練不足と経験不足の<br />
 <br />
士気の低い軍隊を持つのみで単独での勝利なく、アフリカでの主役の座も<br />
 <br />
有名なロンメル将軍のドイツ・アフリカ軍団になってしまいます。<br />
 <br />
望まずして戦場を拡大する羽目になったドイツがアフリカを放棄した直後、<br />
 <br />
連合軍はイタリアに上陸する訳です。<br />
 <br />
それに驚き、イタリア国民は熱烈に支持してきたムッソリーニを幽閉、<br />
 <br />
バドリオ政権を樹立。そしてドイツに対し宣戦を布告すると言う複雑な情勢下でした。<br />
 <br />
映画の中で政治的主導権がコロコロ入れ替わる状況が登場人物の運命を翻弄し、<br />
 <br />
最後に連合軍が来たにも拘らず、自分自身以外の全てが消え去ってしまうと言う、<br />
 <br />
寂しい物語です。物事を達成した後の寂しさに似た感覚だと思います。<br />
 <br />
<br />
ロベルト・ロッセリーニ監督はイタリアのこの時の情勢を皮肉っています。<br />
 <br />
独裁者を放り出して連合国に寝返ろうと言うご都合主義やドイツによる<br />
 <br />
実際は何も知らないイタリア一般民に対する強圧的姿勢、勝手に無条件降伏を発表し、<br />
 <br />
イタリアをドイツに宣戦布告せざるを得ない立場に立たせた連合国は<br />
 <br />
戦後、イタリアを敗戦国として裁くと言う仕打ち。<br />
 <br />
この状況はイタリアを破壊から守る事も無く、戦後処理ではただの敗戦国扱いで、<br />
 <br />
同盟国からの裏切り者扱いは元より、連合国からの信用も失い、<br />
 <br />
戦後一般のイタリア人の評価を「いい加減」と言う方向へ導いた出来事でした。<br />
 <br />
<br />
　故、イタリア客船の船長の話を聞いてもそれほど驚かない事態になる訳です。<br />
 <br />
ロッセリーニ監督はこう言った状況をしっかり把握してこの映画を作ったのだと思います。<br />
 <br />
イタリアが夜に取り残される事の無いように祈りをこめて。<br />
 <br />
<br />
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  <dc:date>2012-02-01T22:10:19+09:00</dc:date>
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  <title>素人 </title>
  <description>田中直紀防衛相の23日の発言に注目が集まっているようで。
 
沖縄県庁での仲井真弘多知事との会談で、
 
仲井真知事が「何度か沖縄においでになったのか」と尋ねたのに答えて、
 
「石垣島には毎年1回ほど家族と伺っているが、
 
大体水族館だとか硫黄島だとかそういうところに出掛けた」
 
と発言したそうで。硫黄島は東京都で、沖縄県内の島と間違えて挙げた様子。
 
基本的に硫黄島は、日本の国防上非常に重要な 東京都小笠原村、
 
ゆえに第二次大戦でも日本軍は2万人の玉砕を持って死力を尽くして守ったのです。
 
そんな戦略的重要地点の位置も知らず、現状は自衛隊基地で一般人は入れない所へ、
 
水族館と同列扱い。こんな人間が防衛相とは何だか不安でたまりません。
 
麻生元首相が高級バーに行ったといって徹底的にたたいたマスコミは
 
防衛相のこんな素人的発言には小さな記事しか割きません。
 
国防上の不安とともに、硫黄島で玉砕した日本の兵士に対しても顔向けできない様な話です。
 
せめて、勉強してから発言してほしい、それができないなら、
 
防衛などと言う職に就くべきではないと思います。
 

</description>
  <content:encoded>
  <![CDATA[
  田中直紀防衛相の23日の発言に注目が集まっているようで。<br />
 <br />
沖縄県庁での仲井真弘多知事との会談で、<br />
 <br />
仲井真知事が「何度か沖縄においでになったのか」と尋ねたのに答えて、<br />
 <br />
「石垣島には毎年1回ほど家族と伺っているが、<br />
 <br />
大体水族館だとか硫黄島だとかそういうところに出掛けた」<br />
 <br />
と発言したそうで。硫黄島は東京都で、沖縄県内の島と間違えて挙げた様子。<br />
 <br />
基本的に硫黄島は、日本の国防上非常に重要な 東京都小笠原村、<br />
 <br />
ゆえに第二次大戦でも日本軍は2万人の玉砕を持って死力を尽くして守ったのです。<br />
 <br />
そんな戦略的重要地点の位置も知らず、現状は自衛隊基地で一般人は入れない所へ、<br />
 <br />
水族館と同列扱い。こんな人間が防衛相とは何だか不安でたまりません。<br />
 <br />
麻生元首相が高級バーに行ったといって徹底的にたたいたマスコミは<br />
 <br />
防衛相のこんな素人的発言には小さな記事しか割きません。<br />
 <br />
国防上の不安とともに、硫黄島で玉砕した日本の兵士に対しても顔向けできない様な話です。<br />
 <br />
せめて、勉強してから発言してほしい、それができないなら、<br />
 <br />
防衛などと言う職に就くべきではないと思います。<br />
 <br />
<br />

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  <dc:date>2012-01-28T23:53:26+09:00</dc:date>
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  <title>アテネに死す</title>
  <description>
時事通信によると、映画監督アンゲロプロス氏が死去、との事。
 
ギリシャの報道によると、世界的巨匠として知られ数々の映画賞に輝いた同国の映画監督
 
テオ・アンゲロプロス氏が24日、首都アテネに近いピレウス郊外でバイク事故に遭い、
 
脳出血のため搬送先の病院で死亡。76歳だったとの事。
 
　アンゲロプロス氏はアテネ生まれ。アテネ大学卒業後、フランスの国立高等映画学院などで学び、
 
映画批評活動を経て1968年に初の短編映画、70年に初の長編映画を発表。
 
「旅芸人の記録」など72年から77年発表の現代史3部作と呼ばれる3作品で世界的な評価を得ます。
 
80年の「アレクサンダー大王」でベネチア国際映画祭最高賞の金獅子賞、
 
98年の「永遠と一日」でカンヌ国際映画祭最高賞のパルムドールを受賞。
 
ナチス・ドイツの侵攻や軍事政権などギリシャ現代史を題材とした作品が評判でした。
 
　このほかの主な作品に「シテール島への船出」（84年）、「ユリシーズの瞳」（95年）などがあります。
 
現在はギリシャと欧州の債務危機を扱った新作を撮影中だったそうです。
 
　
 この監督の映像は私の場合「旅芸人の記録」から入り、ショートフィルムを何本か経て、
 
舞台劇をそのまま映画化した様な究極の無言劇「アレクサンダー大王」で完成を見た感じがします。
 
「アレクサンダー大王」は落ち着いてみれば本当に言葉が無くても分かる作品で、
 
確か映画の中では最初に1900年の新年の祝い以外は言葉が出てきません。
 
多分に実験的要素が入っているのに完成度が高いなかなか興味ある作品でした。
 
「アレクサンダー大王」が1980年作なので実質見たのは2年後だったと思います。
 
もう30年も前の話です。本物の映像で映画が撮られた最後の時期かもしれませんね。
 
コンピュータ全盛の今では、テオ・アンゲロプロス監督やアンドレイ・タルコフスキー監督等の様に
 
映像を叙事詩的に撮る人はもう現れないかも知れません。
 
せめて、現作品の完成を見たかったです。
 
　　　　　　　　　　ご冥福を。
</description>
  <content:encoded>
  <![CDATA[
  <br />
時事通信によると、映画監督アンゲロプロス氏が死去、との事。<br />
 <br />
ギリシャの報道によると、世界的巨匠として知られ数々の映画賞に輝いた同国の映画監督<br />
 <br />
テオ・アンゲロプロス氏が24日、首都アテネに近いピレウス郊外でバイク事故に遭い、<br />
 <br />
脳出血のため搬送先の病院で死亡。76歳だったとの事。<br />
 <br />
　アンゲロプロス氏はアテネ生まれ。アテネ大学卒業後、フランスの国立高等映画学院などで学び、<br />
 <br />
映画批評活動を経て1968年に初の短編映画、70年に初の長編映画を発表。<br />
 <br />
「旅芸人の記録」など72年から77年発表の現代史3部作と呼ばれる3作品で世界的な評価を得ます。<br />
 <br />
80年の「アレクサンダー大王」でベネチア国際映画祭最高賞の金獅子賞、<br />
 <br />
98年の「永遠と一日」でカンヌ国際映画祭最高賞のパルムドールを受賞。<br />
 <br />
ナチス・ドイツの侵攻や軍事政権などギリシャ現代史を題材とした作品が評判でした。<br />
 <br />
　このほかの主な作品に「シテール島への船出」（84年）、「ユリシーズの瞳」（95年）などがあります。<br />
 <br />
現在はギリシャと欧州の債務危機を扱った新作を撮影中だったそうです。<br />
 <br />
　<br />
 この監督の映像は私の場合「旅芸人の記録」から入り、ショートフィルムを何本か経て、<br />
 <br />
舞台劇をそのまま映画化した様な究極の無言劇「アレクサンダー大王」で完成を見た感じがします。<br />
 <br />
「アレクサンダー大王」は落ち着いてみれば本当に言葉が無くても分かる作品で、<br />
 <br />
確か映画の中では最初に1900年の新年の祝い以外は言葉が出てきません。<br />
 <br />
多分に実験的要素が入っているのに完成度が高いなかなか興味ある作品でした。<br />
 <br />
「アレクサンダー大王」が1980年作なので実質見たのは2年後だったと思います。<br />
 <br />
もう30年も前の話です。本物の映像で映画が撮られた最後の時期かもしれませんね。<br />
 <br />
コンピュータ全盛の今では、テオ・アンゲロプロス監督やアンドレイ・タルコフスキー監督等の様に<br />
 <br />
映像を叙事詩的に撮る人はもう現れないかも知れません。<br />
 <br />
せめて、現作品の完成を見たかったです。<br />
 <br />
　　　　　　　　　　ご冥福を。<br />

  ]]>
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  <dc:date>2012-01-26T00:27:52+09:00</dc:date>
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  <title>ベニスに死す</title>
  <description>　地盤沈下と海面上昇で水没が懸念されるイタリアはベネチア。
 
対策が模索され、その中で「水には水を」という新発想のプランが提案されたようです。
 
多孔性の地層に大量の海水を注入、膨張させれば、水の都が約30センチ上昇する見込み。
 
異常潮位現象「アックア・アルタ」は、毎年4回程度ベネチアで発生、
 
海抜の最も低い総面積の約14％の地域を水没させ、被害は悪化の一途をたどっています。
 
　ベネチアでは、1950年から約20年間、産業用に大量の地下水を汲み上げたため、
 
20年で約12センチも地盤が下がり、汲み上げをやめた今も100年で5センチ以下になったものの、
 
沈下は続いているようです。逆に周りを取り囲むアドリア海の海面は今世紀末までに
 
約30センチの上昇が見込まれるそうです。
 
そこで、ベネチアの街中直径10キロの円周上に12本の井戸を掘り、
 
10年間で1500億リットルの海水を地下注入する計画が持ち上がった訳です。
 
海水を注入した地層が膨張、沈下の進行を食い止め、地層の安定後、隆起を促していくそうです。
 
石油会社やガス会社が掘削して地質調査を行った1980年代の地震データと最近のデータを結合。
 
ベネチアの地下にある不浸透性の粘土層を高精度で確認できる様になったお陰で、
 
粘土質の下地下650～1000メートルに横たわる砂の層に海水を注入。
 
粘土層に蓋の役割をさせ、注入した地層を膨張させるシステムだそうで。
 
費用は50億ユーロ程度と防波堤計画の1/6程度の価格だそうです。
 

しかし、地震や火山活動等で粘土層の破損が起こった場合はどうなるのでしょうね？
 
それに地下水源は塩水化されてしまうので、それが困る場合もあるのではと思いますが、
 
経済危機の折、諸問題は後回しになるのかもしれませんね。
 

昔、ベニスに死すと言うヴィスコンティ監督の映画を見た時は美しいベニスの街並みは
 
そんな不安はおくびにも出さず、ただゆっくりと時間が流れていたのですが、
 
映画の作製年代を考えると既に沈下はピークで、大変な事になっていたのだなと言う思いと同時に、
 
昔あったガリバーと言う旅行誌のベネチア特集に、「沈み行く都ベネチア」と題して、
 
「いずれこの都は沈み、歴史となってしまう運命にある。故に我々はこの都の目撃者たらん。」
 
と書かれていました。それはそれ、ロマンチシズム溢れる表現で、自然の摂理ではあるので、
 
いずれベニスに行こう、目撃者になるのだ、と軍艦島を想像しつつ考えましたが、
 
当のイタリア人たちは、ベニスを軍艦島にする気はないようです。
 

</description>
  <content:encoded>
  <![CDATA[
  　地盤沈下と海面上昇で水没が懸念されるイタリアはベネチア。<br />
 <br />
対策が模索され、その中で「水には水を」という新発想のプランが提案されたようです。<br />
 <br />
多孔性の地層に大量の海水を注入、膨張させれば、水の都が約30センチ上昇する見込み。<br />
 <br />
異常潮位現象「アックア・アルタ」は、毎年4回程度ベネチアで発生、<br />
 <br />
海抜の最も低い総面積の約14％の地域を水没させ、被害は悪化の一途をたどっています。<br />
 <br />
　ベネチアでは、1950年から約20年間、産業用に大量の地下水を汲み上げたため、<br />
 <br />
20年で約12センチも地盤が下がり、汲み上げをやめた今も100年で5センチ以下になったものの、<br />
 <br />
沈下は続いているようです。逆に周りを取り囲むアドリア海の海面は今世紀末までに<br />
 <br />
約30センチの上昇が見込まれるそうです。<br />
 <br />
そこで、ベネチアの街中直径10キロの円周上に12本の井戸を掘り、<br />
 <br />
10年間で1500億リットルの海水を地下注入する計画が持ち上がった訳です。<br />
 <br />
海水を注入した地層が膨張、沈下の進行を食い止め、地層の安定後、隆起を促していくそうです。<br />
 <br />
石油会社やガス会社が掘削して地質調査を行った1980年代の地震データと最近のデータを結合。<br />
 <br />
ベネチアの地下にある不浸透性の粘土層を高精度で確認できる様になったお陰で、<br />
 <br />
粘土質の下地下650～1000メートルに横たわる砂の層に海水を注入。<br />
 <br />
粘土層に蓋の役割をさせ、注入した地層を膨張させるシステムだそうで。<br />
 <br />
費用は50億ユーロ程度と防波堤計画の1/6程度の価格だそうです。<br />
 <br />
<br />
しかし、地震や火山活動等で粘土層の破損が起こった場合はどうなるのでしょうね？<br />
 <br />
それに地下水源は塩水化されてしまうので、それが困る場合もあるのではと思いますが、<br />
 <br />
経済危機の折、諸問題は後回しになるのかもしれませんね。<br />
 <br />
<br />
昔、ベニスに死すと言うヴィスコンティ監督の映画を見た時は美しいベニスの街並みは<br />
 <br />
そんな不安はおくびにも出さず、ただゆっくりと時間が流れていたのですが、<br />
 <br />
映画の作製年代を考えると既に沈下はピークで、大変な事になっていたのだなと言う思いと同時に、<br />
 <br />
昔あったガリバーと言う旅行誌のベネチア特集に、「沈み行く都ベネチア」と題して、<br />
 <br />
「いずれこの都は沈み、歴史となってしまう運命にある。故に我々はこの都の目撃者たらん。」<br />
 <br />
と書かれていました。それはそれ、ロマンチシズム溢れる表現で、自然の摂理ではあるので、<br />
 <br />
いずれベニスに行こう、目撃者になるのだ、と軍艦島を想像しつつ考えましたが、<br />
 <br />
当のイタリア人たちは、ベニスを軍艦島にする気はないようです。<br />
 <br />
<br />

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  <title>十六桜</title>
  <description>私はこの季節、桜が待ち遠しくて仕方がありません。
 
原因は「十六桜」と言うお話。
 
小泉八雲氏の書籍に載るこの話を子供の頃に読んで、強烈な印象を持ちました。
 
舞台になるのは今で言う愛媛県、遠い昔の旧暦一月十六日のお話。
 
現代の暦だと二月半ばでしょうから随分寒い時期に桜を咲かせた侍の話です。
 
この作品が小泉八雲ことラフカディオ・ハーン氏に書籍として紹介された時期、
 
沢山の外国人が日本に産業や学問を伝える為に招聘された時期で、
 
その人々が伝える日本に、当時の息吹を感じます、
 
その中でも桜の表現は出色のできのものが多いです。
 
天文学者のローウェル氏は日本の桜並木を銀河のようだと言います。
 
その一節。
 
彼らは「自然」が装った姿そのままでは満足せず、その美しい姿を何倍にも増やす。
 
桜の木の成長に適した場所は、人出を使って、たくさんの木が植えられている。
 
時にはそれは「王子」に見られるように、
 
丘を飾る宝冠か星座のように一箇所に固まって植えられている。
 
また別のところでは「向島」の様に何マイルも並木となって続いている。
 
その並木は、一方は美しい川、他方は青緑色の水田に挟まれて、
 
まるで花々の輝く銀河のようだ。
 
とまあ、天文学者らしい表現です。
 
毎年、十六桜のお話を思い起こすと、すぐにカンザクラの開花の季節。
 
桜好きの多い京都は民家の庭だけで五月のカスミザクラまで、少し長く楽しめます。
 
梅・桃・桜。梅が咲き出すと春へは一直線。寒いけれど楽しみでもあります。
 



「十六桜」は昨年も日記に載せたと思うのですが、凄く短い話なので。
 
嘘のよな　十六桜　咲きにけり 

伊予の国の和気郡には「十六桜」、
 
あるいは「十六日の桜の木」と呼ばれる有名な大変古い桜の木がある。
 
その木は毎年（昔の太陰暦で）一月十六日に開花し、その日のうちに散る。
 
したがって本来の桜ならば春まで待つところを、
 
その桜は大寒の時期に開花するのである。
 
十六桜は自らのものではない命―少なくとも、
 
もとはそれ自らの命ではなかった―をもって咲く。
 
その木には、ある男の魂が宿っているのだ。
 
　その男は伊予の国の侍であった。
 
木は男の庭で育ち、かつては並の時期
 
（つまりは三月の終わりや四月の初め）に咲いていた。
 
男は子供の時分にその木の下で遊び、季節が百たび以上もめぐる間、
 
男の両親や祖父母、先祖たちは咲き誇る枝に
 
賛美の句を記した明るい色紙の短冊をつるした。
 
男もまた年老いた。
 
その子供にはみな先立たれ、この世に男が慈しむものとて、
 
その木の他に残されてはいなかった。
 
それがなんと、ある年の夏に萎え、枯れてしまったではないか。
 
　老人はその木のため、大いに嘆いた。
 
親切な近所の者たちは慰めになればと、美しい桜の若木を見つけ、
 
その庭に植えてやった。
 
老人は感謝して、喜ぶふりをした。しかし本心は悲嘆に暮れていた。
 
その古い桜をこよなく愛していたため、
 
老人にとって、何物もその木に引き替えることはできなかったのだ。
 
　ついに、老人によい考えが浮かんだ。
 
枯れゆく木をあるいは救えるかもしれぬ術を思いついたのだ。（それが一月十六日だった。）
 
老人はただ一人庭にゆき、しおれた木の前で礼をし、こう語りかけた。
 
「そら、頼むからわしの願いを聞き入れ、もう一度咲いてくれ。
 
お前の代りに死んでやるのだからな」
 
（神の取り計らいによって、人は他の人間、動物、
 
はては木にさえ、魂を移すことができると信じられていた。
 
このように魂を移すことは「身代わりに立つ」という言葉で、
 
代わりになるということを表現される。）
 
そして木の下に白布と様々の覆いを広げ、その上に座り、
 
武士の作法に従って切腹したのだった。
 
侍の魂は木の中に入り、花を同じ時間に咲かせるようになった。
 
　そしてその木はいまだに毎年、一月十六日の雪の時節に花咲かせるのである。 



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  <![CDATA[
  私はこの季節、桜が待ち遠しくて仕方がありません。<br />
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原因は「十六桜」と言うお話。<br />
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小泉八雲氏の書籍に載るこの話を子供の頃に読んで、強烈な印象を持ちました。<br />
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舞台になるのは今で言う愛媛県、遠い昔の旧暦一月十六日のお話。<br />
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現代の暦だと二月半ばでしょうから随分寒い時期に桜を咲かせた侍の話です。<br />
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この作品が小泉八雲ことラフカディオ・ハーン氏に書籍として紹介された時期、<br />
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沢山の外国人が日本に産業や学問を伝える為に招聘された時期で、<br />
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その人々が伝える日本に、当時の息吹を感じます、<br />
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その中でも桜の表現は出色のできのものが多いです。<br />
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天文学者のローウェル氏は日本の桜並木を銀河のようだと言います。<br />
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その一節。<br />
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彼らは「自然」が装った姿そのままでは満足せず、その美しい姿を何倍にも増やす。<br />
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桜の木の成長に適した場所は、人出を使って、たくさんの木が植えられている。<br />
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時にはそれは「王子」に見られるように、<br />
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丘を飾る宝冠か星座のように一箇所に固まって植えられている。<br />
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また別のところでは「向島」の様に何マイルも並木となって続いている。<br />
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その並木は、一方は美しい川、他方は青緑色の水田に挟まれて、<br />
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まるで花々の輝く銀河のようだ。<br />
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とまあ、天文学者らしい表現です。<br />
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毎年、十六桜のお話を思い起こすと、すぐにカンザクラの開花の季節。<br />
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桜好きの多い京都は民家の庭だけで五月のカスミザクラまで、少し長く楽しめます。<br />
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梅・桃・桜。梅が咲き出すと春へは一直線。寒いけれど楽しみでもあります。<br />
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「十六桜」は昨年も日記に載せたと思うのですが、凄く短い話なので。<br />
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嘘のよな　十六桜　咲きにけり <br />
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伊予の国の和気郡には「十六桜」、<br />
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あるいは「十六日の桜の木」と呼ばれる有名な大変古い桜の木がある。<br />
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その木は毎年（昔の太陰暦で）一月十六日に開花し、その日のうちに散る。<br />
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したがって本来の桜ならば春まで待つところを、<br />
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その桜は大寒の時期に開花するのである。<br />
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十六桜は自らのものではない命―少なくとも、<br />
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もとはそれ自らの命ではなかった―をもって咲く。<br />
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その木には、ある男の魂が宿っているのだ。<br />
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　その男は伊予の国の侍であった。<br />
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木は男の庭で育ち、かつては並の時期<br />
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（つまりは三月の終わりや四月の初め）に咲いていた。<br />
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男は子供の時分にその木の下で遊び、季節が百たび以上もめぐる間、<br />
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男の両親や祖父母、先祖たちは咲き誇る枝に<br />
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賛美の句を記した明るい色紙の短冊をつるした。<br />
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男もまた年老いた。<br />
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その子供にはみな先立たれ、この世に男が慈しむものとて、<br />
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その木の他に残されてはいなかった。<br />
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それがなんと、ある年の夏に萎え、枯れてしまったではないか。<br />
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　老人はその木のため、大いに嘆いた。<br />
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親切な近所の者たちは慰めになればと、美しい桜の若木を見つけ、<br />
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その庭に植えてやった。<br />
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老人は感謝して、喜ぶふりをした。しかし本心は悲嘆に暮れていた。<br />
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その古い桜をこよなく愛していたため、<br />
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老人にとって、何物もその木に引き替えることはできなかったのだ。<br />
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　ついに、老人によい考えが浮かんだ。<br />
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枯れゆく木をあるいは救えるかもしれぬ術を思いついたのだ。（それが一月十六日だった。）<br />
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老人はただ一人庭にゆき、しおれた木の前で礼をし、こう語りかけた。<br />
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「そら、頼むからわしの願いを聞き入れ、もう一度咲いてくれ。<br />
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お前の代りに死んでやるのだからな」<br />
 <br />
（神の取り計らいによって、人は他の人間、動物、<br />
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はては木にさえ、魂を移すことができると信じられていた。<br />
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このように魂を移すことは「身代わりに立つ」という言葉で、<br />
 <br />
代わりになるということを表現される。）<br />
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そして木の下に白布と様々の覆いを広げ、その上に座り、<br />
 <br />
武士の作法に従って切腹したのだった。<br />
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侍の魂は木の中に入り、花を同じ時間に咲かせるようになった。<br />
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　そしてその木はいまだに毎年、一月十六日の雪の時節に花咲かせるのである。 <br />
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