3月7日はジェームス・クック船長がハワイに到着した日だそうです。
ハワイは今でこそ、アメリカの中の楽園のように言われていますが、
実際は立派な独立国でした。
でも、クック船長がハワイ諸島の現ハワイ島に着いた頃,、
先住民はいくつもの部族に分かれ、
血を血で洗う抗争を繰り広げていたそうです。
クック船長の来訪が影響したのか、各部族間での統一が始まります。
ハワイを王国として統一したのは、有名なカメハメハ1世。
カメハメハ一世は王国建設後、
比較的開放的に先進海外諸国の文化の導入を図り、
王国の安泰を期しますが、白人が持ち込んだ伝染病に
まるで免疫の無かった先住民の人口は、
王朝が終焉する頃には5分の1程度まで減少。
王国の首都がマウイ島のラハイナに在ったころから
捕鯨船の補給地としてハワイに度々寄港していたアメリカ人は、
早くからハワイの太平洋における戦略的な価値を認識していた
野心的な事業家や商人がハワイに渡り、王族に取り入り、
官僚として政治に関与し、
もともと「土地所有権」という概念に希薄な先住民を
誑かして手に入れた農園などの広大な土地を支配するようになり、
やがて国の経済全体を、ひいては国家そのものを
支配していくようになりました。
1881年、第7代ハワイ国王デビット・カラカウアが、
世界周遊の際に日本を訪問。
日本政府は最高の敬意をもって大王を迎え、
日本側の歓待に感激した大王は明治天皇に謁見。
当時まだ5歳の大王の姪であるカイウラニ王女と
山階宮定麿親王との婚姻の申し入れを行うと言う一幕がありました。
しかし、カラカウア大王は帰国後、
米国に後押しされた勢力に革命を起こされ、
立憲君主に祭り上げられてしまい、
サンフランシスコ滞在中に不審死を遂げ、
妹のリリウォカラニが第8代女王となる。
王政復古を目指した白人排除の新憲法を強行発布したため、
1893年、軍艦ボストン号配乗の海兵隊160余名が重武装で
イオラニ宮殿を包囲。
カメハメハ王朝は抵抗する術もなく、無血で終焉します。
この王朝転覆の報に、明治政府は新鋭巡洋艦「浪速」をハワイに派遣。
ホノルル沖に3ヶ月間遊弋。米国の暴挙を威嚇し続けたそうです。
カラカウア大王がカイウラニ王女の婚姻相手として指名した
山階宮定麿親王が海軍士官として同艦乗組が知れると、
革命側は大混乱に陥ったそうです。
残念ながら、国力の差から
巡洋艦「浪速」は砲火を開くことなく、ハワイを去ります。
「浪速」艦長は後の日本海海戦時の聯合艦隊司令長官、
東郷平八郎氏であった事は別の物語です。
ここでも、経済や政治にまで外国人を入り込ませたという、
政治の危機感のなさが国家の崩壊を招いています。
浦賀沖にペリーが登場した時、
自主政権革命でスムーズな対応で外国勢に臨んだ日本は今、
必要のない政治の外国人参入を国家元首自ら標榜しています。
悲しいと言うより腹立たしい話です。
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